2003年3月24日月曜日

Le Monde 「モニカ・ルインスキーを返せ」;フィリップ・ロスの平和運動ステッカー 2003.3.24



2003.3.24

アメリカで「モニカ・ルインスキーを返せ」というス テッカーが流行しているとの事。大賛成。クリントンは助平だったかも知れないがこんな馬鹿な事はしなかった。ポリティカル・コレクトはもうたくさんです。 善人ぶった「信念の人」が国を滅ぼすことは、与謝野晶子が「悲しからず哉道を説く君」と詠ったとおり。それにしてもこのステッカーを見てみたいな。


"Rendez-nous Monica Lewinsky ": l'autocollant pacifiste de Philip Roth (2003.3.22)

「モニカ・ルインスキーを返せ」;フィリップ・ロスの 平和運動ステッカー
ニューヨーク特派員報告

アメリカ市民がイラク戦争に抗議する方法は無数にあ る。デモに参加したり、インターネットで意見を発信したり、上着の襟にバッジを付けたり「戦争反対」のステッカーを車のフロントガラスに貼り付けたりす る。

知識人や、芸術家もそうである。73歳になった今もミ ルトン・グラサーはマンハッタンのグラフィックスタジオで非常に活発に芸術活動を続けているが、最近作家のフィリップ・ロスから「君の助けがいるんだよ」 と電話を貰った。

この『人間のしみ (The Human Stain)』の著者である有名な作家は、同じく有名な「I love Ney York」のスローガン(「love 」をハートマークで置き換えたもの)をデザインしたグラサーに「モニカ・ルインスキーを返せ (Bring back Monica Lewinsky)」という言葉を入れたステッカーのデザインを頼んできたのだ。出来上がったものは、素晴らしく、ちょっとひねった辛辣なもので、青地に 白抜きの文字で書かれたものだ。これをバンパースティッカーにしたものは、この二人の友人達のインフォーマルネットのおかげで大いに流行っているとの事で ある。

誰もがこの言葉を読んで1998年の夏の事を思い出 す。ホワイトハウスの研修生をめぐるスキャンダルでアメリカの大統領の罷免手続きにまで発展した件である。この時の大統領がしでかした間違いの深刻さは、 またクリントンが嘘を付いた事の重大さは、現在ジョージ・ブッシュがこの国を誰もが出口を見えない紛争に引きずり込んだ事の深刻さとは比較にならないもの だ。フィリップ・ロスによれば、かれが『人間のしみ』に描いたようにこのモニカ事件はアメリカ社会の現状を象徴するものである。彼の言葉を借りれば「馬鹿 げたポリティカル・コレクトネスという言葉のもとにすべてが押しつぶされ、矮小化され、低俗化してしまうのだ」。ロスによればこれは「礼儀作法による専 制」であり、今日アメリカはこれによって身動きの取れないような状況に追い込まれている。個人レベルでまた集団レベルで昔風の抗議やお叱りがまた再び表面 化してきたという。一方ミルトン・グラサーは、自分の信条を文章に書いた事は今までないが、最近の「ネイション」誌で反戦運動の支持を表明した。

インターネットジャーナルのサイト (www.thenation.com)では数々のバッジが販売されている。「秘密は独裁につながる」とか「意見の対立は民主主義を守る」とか「監視は自 由を奪う」とか、或いは単に「オイル戦争」とかである。ある1865年以来の反権威雑誌は読者に「袖に血が流れるハートを付けよう」と呼びかけた。ミルト ン・グラサーは9月11日事件の後「I love Ney York」の言葉の後に「More than ever」を付け加えたが、モニカのステッカーでフィリップ・ロスは、彼の辛辣なやり方で、「今まで以上に(More than ever)」愛国心を発揮しようとしている。

Michèle Champenois

• ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 22.03.03


珊瑚集:暖かき火のほとり ポオル・ヴヱルレヱン


『珊瑚集』ー原文対照と私註ー

永井荷風の翻訳詩集『珊瑚集』の文章と原文を対照表示させてみました。翻訳に当たっての荷風のひらめきと工夫がより分かり易くなるように思えます。二三の 私註と感想も書き加えてみました。

ポール・ヴェルレーヌ
原文       荷風訳
(Le foyer....) PAUL VERLAINE

Le foyer, la lueur étroite de la lampe ;

La rêverie avec le doigt contre la tempe

Et les yeux se perdant parmi le yeux aimés ;

L'heure du thé fumant et des livres fermés ;

La douceur de sentir la fin de la soiré :

La fatigue charmante et l'attente adorée

De l'ombre nuptiale et de la douce nuit,

Oh ! tout cela, mon rêve attendri le poursuit

Sans relâche, à travers toutes remises vaines,

Impatient de mois, furieux des semaines !

(La Bonne Chanson) 

暖かき火のほとり ポオル・ヴヱルレヱン


暖かき火のほとり、灯火のせまきかげ、

額に指する夢見心地、

愛する人と瞳子を合すその眼とその眼、

煮ゆる茶の時、閉せる書物、

日の暮れ感ずるやさしき思ひ、

くらきかげ、静けき夜をまつ時の

云ふに云はれぬ心のつかれ、

ああわが夢心地、幾月のまちこがれ、

幾週日の遣瀬無さ、

猶ひたすらに其等を追ふ。

lueur 〈女〉 微光; 閃光. / réverie〈女〉 夢想./ nuptiale 婚礼の./attendri  感動した, 優しい./ relâche《文》中断, 休息.

細かい事ですが、荷風はお茶を「煮る」と書くんですね。『断腸亭日乗』でも頻繁にこの「煮る」が登場します。なんか出涸らしのお茶を淹れるみたいでピンと 来ないんですが、正式の漢文じゃこう言うんでしょうか。それとも荷風は質実剛健だからお茶をやかんで煮立てて淹れていたのかしら。知りたいところです。

余丁町散人 (2003.3.24)

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訳詩:『珊瑚集』籾山書店(大正二年版の復刻)
原詩:『荷風全集第九巻付録』岩波書店(1993年)

2003年3月23日日曜日

珊瑚集:道行 ポオル・ヴヱルレヱン


『珊瑚集』ー原文対照と私註ー

永井荷風の翻訳詩集『珊瑚集』の文章と原文を対照表示させてみました。翻訳に当たっての荷風のひらめきと工夫がより分かり易くなるように思えます。二三の 私註と感想も書き加えてみました。

ポール・ヴェルレーヌ
原文       荷風訳
Colloque sentimental PAUL VERLAINE

Dans le vieux parc solitaire et glacé,
Deux formes ont tout à l'heure passé.

Leurs yeux sont morts et leur lévres sont molles,
Et l'on entend à peine leurs paroles.

Dans le vieux parc solitaire et glacé,
Deux spectres ont évoqué le passé.

- Te souvient-il de notre extase ancienne ?
- Pourquoi voulez-vous donc qu'il m'en souvienne ?

- Ton cœur bat-il toujours à mon seul nom ?
Toujours vois-tu mon âme en rêve ? - Non.

- Ah ! les beaux jours de bonheur indicible
Où nous joignions nos bouches ! - C'est possible.

- Qu'il était bleu, le ciel, et grand, l'espoir !
- L'espoir a fui, vaincu, ver le ciel noir.


Tels ils marchaient dans les avoines folles,
Et la nuit seule entendit lur paroles.
(Fêtes galantes)

道行 ポオル・ヴヱルレヱン


寒いさむしい古庭に
今し通った二つのかたち。

眼おとろへ唇ゆるみ
ささやく話もとぎれとぎれ。

寒いさむしい古庭に
昔をしのぶ二人のかげ。

ーお前は楽しい昔の事を覚えてゐるか。
ーなぜ覚えてゐろと仰有るのです。

ーお前の胸は私の名をよぶ時いつも震へて、
お前の心はいつも私を夢に見るか。ーいいえ。

ーああ私等二人唇と唇とを合はした昔
危い幸福の美しい其の日。ーそうでしたねえ。

ー昔の空は青かった。昔の望みは大きかった。
ーけれども其の望みは敗れて暗い空にと消えました。

烏麦繁った間の立ち話、
夜より外に聞くものはなし。




colloque  〈男〉  対話 / mou1(mol) (女性形 molle)  弱い.生気のない, 活気のない / souvenir 〈自〉  《助動詞は ètre》 《非人称構文で》 《文》 Il me [te, lui...] souvient de [que...] 私〔君, 彼(女)〕の心に浮ぶ, を思い出す〔覚えている〕.―Te souvient-il de notre extase ancienne? (Verlaine) 「過ぎし日のわれらの陶酔いまだ覚えたまうや」./indicible  〈形〉《文》 言語に絶する, 曰く言いがたい. avoine 〈女〉  オート麦 /

なんか身につまされるお話しですねえ、殿方御同胞。男の方がロマンティックなんです。その点女性は常に現実的。でもこの夫婦、夫が妻を「tu」で呼んでい るのに妻の方は夫に対して「vous」を使ってます。これはどういうことなんだろう。昔は男尊女卑がそれほど非道かったのだろうか。夫が親密さを表現しよ うとしているのに妻の方がわざと「vous」を使って夫と距離を置こうとしているのかも知れない。

余丁町散人 (2003.3.23)

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訳詩:『珊瑚集』籾山書店(大正二年版の復刻)
原詩:『荷風全集第九巻付録』岩波書店(1993年)

2003年3月22日土曜日

近況報告(春のお便り)


近況報告(春のお便り)
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余丁町散人

春分の日も過ぎてだんだん日が長くなっているのですが、今日はまた冬に戻ったような寒空です。地球温暖化とか炎暑とか暖冬になれてしまったので、何だか昔懐かしい感じ。昔の日本家屋での生活は冬本当に寒かった。戦後強くなったのは女と靴下といわれた頃もありましたが、それ以上に変わったのは一般住宅内の気温。住宅の冷暖房設備と建築手法が飛躍的に進歩したおかげです、日本のどの地方にいても年中快適に生活できるようになりました。文明の進歩ですね。昔はやれ暑いとかやれ寒いとかいって避暑や避寒に出かけたようですが、いまや必要なし。出不精の散人にとっては有り難い時代です。

馬鹿なネコ(ピカチュウ)

フランス語の勉強開始

昨年末からフランス語の勉強をはじめました。何を今更という感じですが、"never too late" の精神です。家内がフランス人なので小生も不自由がないと思っておられる人が多いのですが実は出来ない。家内とは最初は英語で話しその後すぐ日本語で話すようになり以来それがずっと続いています。仕事でも使わないし、なんやかやと忙しく勉強する時間がなかった。昨年11月に一念発起しルモンド記事を翻訳してみることにしました。

最初はとても難しかったのですが、続けて行くと少しずつですがだんだん読めるようになるから不思議です。語学というものは語彙が決め手ですからとにかく単語の量です。単語が分かってくると今度はテレビも分かるようになるから面白いし、やがては話したり書いたり出来るようになるはずです。会話は最後なのです。日本では昔の読み書き重視の教育方法の反省から会話教育がもてはやされますが、やはりそれは逆だと思う。新聞も読めないのに話すことは出来ませんし聞いても分からない。幸い時間がいっぱいあるので十年がかりで挑戦することとしました。

マックの iPhoto という写真整理ソフトで昔の写真を整理しはじめました。スキャナーで取り込むのですが、時間がかかるのでぼちぼちやっています。整理していて思いもかけない写真に出会ったりすると感慨深いものがあります。昔の写真を懐かしがるとは、散人も歳をとりました。

家族
***
家内は最近頻繁にイラク戦争に反対するデモに参加しています。きのうも出かけた。1968年5月ドゴール打倒の大デモに参加した68年5月世代なので、やはり昔の血が騒ぐのでしょう。日仏家族会の活動でも忙しくほとんど毎日外で何かやってます。散人はもっぱら主夫業に専念。

息子の暁ですが、卒業制作やアメリカでのCGコンテストへの参加作品の製作で先週までほとんど寝ないで仕事をやってましたが、ようやくそれも終わり、二年ぶりでフランスに出かけています。フランスには同じ年頃の男の従兄弟が二人いるので、三人でわいわいやるのが一番楽しい様子(写真送ってきました)。4月からいよいよ就職です。鬚を生やしていますが、デザイナーだといってもやっぱり会社じゃ駄目でしょうね。剃らせないといけないな。

最後にネコ(ピカチュウ)ですが、相変わらずエライ元気です。ネコ扉を付けたので、外出は自由自在。近所にも出かけていきますが、あまり人に迷惑をかけることをしないと良いのですが・・・。ヘンな格好をして昼寝をするくせも変わりません。

珊瑚集: ましろの月 ポオル・ヴヱルレヱン


『珊瑚集』ー原文対照と私註ー

永井荷風の翻訳詩集『珊瑚集』の文章と原文を対照表示させてみました。翻訳に当たっての荷風のひらめきと工夫がより分かり易くなるように思えます。二三の 私註と感想も書き加えてみました。

ポール・ヴェルレーヌ
原文       荷風訳
(La lune blanche) PAUL VERLAINE
La lune blanche
Luit dans les bois ;
De chaque branche
Part une voix
Sous la ramée...

O bien-aimée.

L’étang reflète,
Profond miroir,
La silhoutte
Du saule noir
Où le vent pleure...

Rêvons, c’est l’heure,

Un vast et tendre
Apaisement
Semble descendre
Du firmament
Que l’astre irise...

C’est l’heure exquise.

(La Bonne Chanson)
ましろの月 ポオル・ヴヱルレヱン
ましろの月は
森にかがやく。
枝々のささやく聲は
繁のかげに
ああ愛するものよといふ。

底なき鏡の
池水に
影いと暗き水柳。
その柳には風が泣く。
いざや夢見ん、二人して。

ひろくやさしき
しづけさの
降りてひろごる夜の空。
月の光は虹となる。
ああ、うつくしの夜や。
単語
luire 《文》 光る, 輝く. 反射する, 反映する.
ramée 〈女〉葉のついたまま切り取られた枝, 柴《文》 枝の葉
saule 〈男〉  植物 柳.
apaisement〈男〉(苦しみなどを)静める〔和らげる〕こと, 鎮静,
astre [astr]〈男〉天体, 星. 詩 太陽〔月〕.
iriser [irize]〈他〉  虹色にする.

「ましろの月」とはすごい表現です。普通は「白い月」と訳してしまう。それから「ああ愛するものよといふ。」という何か字余りみたいな表現がなんともいえ ない。また林芙美子で恐縮ですが、彼女の「蒼馬を見たり」でも「元気で生きていてくださいと呼ぶ。」とやはり字余りみたいな印象的な区切りがありました。 彼女は荷風の訳詩が大好きだったから、きっと真似したのだ。"saule" を「水柳」としたのはおさまりを考えてでしょうね。柳は水際に生えるものだから間違っては居ない。普通「天体」を意味する"astre" が「月」と訳されていますが、詩文では太陽とか月を表すんですね。星というのは詩人にとってはあまりにも遠い存在なのだ。

余丁町散人 (2003.3.22)

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訳詩:『珊瑚集』籾山書店(大正二年版の復刻)
原詩:『荷風全集第九巻付録』岩波書店(1993年)

2003年3月19日水曜日

珊瑚集:ぴあの ポオル・ヴヱルレヱン


『珊瑚集』ー原文対照と私註ー

永井荷風の翻訳詩集『珊瑚集』の文章と原文を対照表示させてみました。翻訳に当たっての荷風のひらめきと工夫がより分かり易くなるように思えます。二三の 私註と感想も書き加えてみました。

ポール・ヴェルレーヌ
原文       荷風訳
(Le piano...)  PAUL VERLAINE
Son joyeux, importun d'un clavecin sonore.
(Pétrus Borel) 

Le piano que baise une main fréle
Luit dans le soir rose et gris vaguement,
Tandis qu’avec un très léger bruit d’aile

Un  air bien vieux, bien faible et bien charment
Rôde discret, épeuré quasiment
Par le boudoir longtemps parfumé d’Elle.

Qu’est-ce que c’est que ce berceau soudain
Qui lentement dorlote mon pauvre être ?
Que voudrais-tu de moi, doux chant badin ?

Qu’as-tu voulu, fin refrain incertain
Qui vas tantôt mourir vers la fenêtre
Ouverte un peu sur le petit jardin ?
(Romances sans Paroles) 

ぴあの ポオル・ヴヱルレヱン



しなやかなる手にふるるピアノ
おぼろに染まる薄薔薇色の夕に輝く。
かすかなう翼のひびき力なくして快き
すたれし歌の一節は
たゆたひつつも恐る恐る
美しき人の移香こめし化粧の間にさまよふ。
ああ我思ひをばゆるゆるゆする眠りの歌、
このやさしき唄の節、何をか我に思へとや。
一節毎に繰り返す聞えぬ程の REFRAIN は
何をかわれに求むるよ。
聞かんとすれば聞く間もなく
その歌声は小庭の方に消えて行く。
細目にあけし窓のすきより。

ヴェルレーヌの「ことばなき恋歌」からです。優れて音楽的な詩を書いたヴェルレーヌですが、これは「ピアノ」と題したそのものズバリの音楽の詩。ランボー との放浪時代に書かれたものです。荷風は音楽が好きでした。でもピアノは弾かなかった。漱石の『猫』にヴァイオリンを弾きたいがガキ大将の制裁が怖いとい うお話しがありましたが、荷風も軟派だとして学校時代ひどく虐められたから、その上ピアノまで弾いたら目も当てられなかったのでしょうね。制裁を加えたの が陸軍大臣になったりなんかして、それも荷風が軍人を嫌った理由のようです。"le soir rose et gris vaguement"  を「おぼろに染まる薄薔薇色の夕」と訳してますが、素晴らしい。でもどうして "Le piano que baise une main fréle" を「しなやかなる手にふるるピアノ」と婉曲的に上品に訳したのかな。「しなやかな手に接吻するピアノ」と直訳したほうが、ちょっとエロティックでよかった のじゃないかと思うけど・・・。

余丁町散人 (2003.3.19)

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訳詩:『珊瑚集』籾山書店(大正二年版の復刻)
原詩:『荷風全集第九巻付録』岩波書店(1993年)

2003年3月15日土曜日

La dictature du sourire éclatant (2003.1.15) 白く輝く笑顔が社会を支配

2003.1.15
我が道を行くフランスでも歯列矯正などの口許の美容が大流行のようです。アメリカの影響ですが、これもグローバリゼーションですね。日本では、少しぐらい八重歯の方が「かわいい」となるらしいのですが、十年後はどうなっているのだろう。親たちは子供の歯並びをもうちょっと考えた方が良いかも知れない。

La dictature du sourire éclatant (2003.1.15)

白く輝く笑顔が社会を支配

歯を白くすること、それを見せびらかす為に何でもすることが、本当の社会的強制となってきている。

「歯を清潔にしましょう」と歯磨き粉の香りをかすかに振りまきながら鼈甲眼鏡をかけた白衣の歯科医がみなに演説する、そんな時代はもう終わった。この快楽の時代には、正統的な歯医者さんは、昔は商業的と見なされていた美容目的の矯正歯科医のかげにすっかりかすんでしまった。多くの病院や歯科クリニックでは「笑顔(歯並び)の治療診断」が実施されているし、「笑顔(歯並び)」についての学際的なシンポジウムまで開かれるくらいである。この意味するところは重大である。昔は虫歯の治療や予防のためにしか歯科医を訪れることはなかった。しかし今や歯科医に行くのは、義務的とまでになった美容歯列矯正のためとなりつつある。歯を健康状態に保つというよりも、歯を完璧に美しくすると言うことが関心事になってきているからである。

歯並びをピアノの鍵盤のように完璧に矯正することや、歯のエナメル質を完璧に真っ白にするいうのは、もはやショービジネスに携わる人たちだけの義務ではなくなっている。きれいな歯という切り札があれば、人生に成功することが出来るのだ。「この二三年、美容目的の歯科矯正が急増している。人々は歯のほんのわずかは欠陥でさえ競って直したがる」とパリの歯科医はいう。セラミックの歯に植え替えたりすることから、歯の裏側にこっそりと宝石を埋め込んだりすることさえするのだ。この関係の治療はほとんどのケース患者の全額負担となる。圧倒的に一番多いのは、歯を白くする治療であり、800ユーロほどかかるが、特殊なゲルを特別光線を当てて活性化するものである。

今後は、この治療を自宅でも出来るようになる。アメリカの企業グループに属するランブラント社は、「特別な白くする歯磨き」で有名であるが、このたび医療局からこの歯を白くする漂白剤の販売許可を取得した。これは過酸素剤をベースとした薬剤で、特別の器具を使用して、一日一時間、2週間に渡り歯に施すことになる。18ヶ月毎に定期的にやる必要がある。タバコを吸ったりコーヒーを飲んだり、コケモモのジャムが好きな人はもうちょっとこの間隔を縮める。

7月以来、この薬剤「ランブラントプラス」(ひとつ60ユーロ)はフランスで5万個売れた。同社はこれは時代の流れに沿ったことだとして「白い歯は社会生活を有利にする。もし貴方の笑顔が美しいと、人からちょっとしたサービスを受けやすくなる」という。「十年以内に、米国のように、歯の漂白は日常的な身だしなみとなる」と。

この完璧な歯並びやアメリカ型の「笑顔」を熱狂的に信ずる人たちは、職業上、また私的生活に於いても、外観は決定的な重要性を持つと主張する。完璧な歯並びでないと、忙しい都市の単身者達の間で今流行している「スピード・デイト」でパートナーを獲得するチャンスは難しくなるのである。

歯のエナメル質が黄色いことは、テレビ番組出演の候補者の中からまずその候補者を外す理由となる。画像で笑顔を振りまこうとすればするほど、逆説的なことも起こる。マドンナのような金歯や、ミック・ジャガーのダイヤモンド歯はちょっと「アウト(流行遅れ)」になりつつあり、最近のジェット機族の一部では、トム・クルーズやフェイ・ダナウェイのような人気俳優のように、金属製の輪冠を見えるように歯に付けるのが流行りだしている。それを見て人は子供時代の歯列矯正器にノスタルジーを感じるのだ。

長い間、歯ブラシの消費が立ち後れていた国(フランス)にとっては、確かにこの新しい趣味の勃興を否定的に判断することは出来ないだろう。しかし一部の専門家はちょっと行き過ぎではないかと心配している。「正常な状態に戻して、患者を気持ちよくさせるという限りにおいて、美容歯列矯正は正当なものだ。問題は、プロは常に過剰な消費者の需要には抵抗しがたいと言うことで、それはもう笑顔(歯並び)の独裁制と言って良いほどにまで進んでいる」とパリの歯科医は言う。笑顔(歯並び)というものは、学問的な正常性の規範で定義されるべきものだとして「犬歯が下唇に輕く接すること」が規範であると最近のシンポジウムでさる専門家は、対立する意見を否定して、歯並びの基準を厳密に定義した。

このような傾向は、パリの病院の胃腸科医エヴァ・アメイセン博士をイライラさせる。「美学的に、また統計的に、外見が完璧な人間というのは存在しない。完璧を追求することは最終的に紋切り型を寄せ集めることになる」と彼女は言う。「ちょっと欠陥があった方が、時としてそのひとの個性がより表れることになる。しかし自分の子供を完璧な歯並びを持った子に育てようと必死で、それをやらないのは無責任と信じている親たちに、これを説明してもなかなか分かってくれない」という。

今、服装コードについては緩和の方向にあるのに、人体についてはその逆で、完璧さを求める傾向にある。これが美容整形が花盛りであることに繋がっている。今米国で流行りだした最先端の例であるが、若い女性の間で、完璧な、小さい縦長の「おへそ」を求めて、おへその整形手術が流行っている。こういう事実からして、クローン人間製造が遺伝子造作に繋がることは間違いないところである。

Jean-Michel Normand

・ ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 15.01.03

2003年3月13日木曜日

〔再録〕荷風と月 ー『断腸亭日乗』の驚くべき正確さー






荷風と月 ー『断腸亭日乗』の驚くべき正確さー  2003.3.13

3月10日の「きょうは何の日」で述べましたが1945年3月10日に東京大空襲がありました。一夜にして死者10万人以上を出した大惨事であり、永井荷風の偏奇館も炎上しました。この晩の『断腸亭日乗』の記述は40年以上に渡る荷風日記の中で白眉とも言える立派な文章であり、いつ読んでも自然と背筋が真っ直ぐになります。今回のテーマは、この名文の中で「月」が出てくることについてです。荷風は月を愛でる人であり、いろんな作品の中で「月」を実に効果的に配置しているのですが、この日記にも出てくるのです。空襲の阿鼻叫喚の描写の中に「月」が出てくる。「下弦の繊月凄然として愛宕山の方より昇るを見る」と書いている。空襲と月とはいかにも場違いとの印象ですが、それが故に何とも言えないもの凄さがあって実に効果的なのです。全文を引用しますので是非お読みください。

<引用はじめ>
三月九日、天気快晴、夜半空襲あり、翌暁四時わが偏奇館焼亡す、火は初長垂坂中程より起り西北の風にあふられ忽市兵衛町二丁目表通りに延焼す、余は枕元の窓火光を受けてあかるくなり隣人の叫ぶ声のただならぬに驚き日誌及草稿を入れたる手革包を提げて庭に出でたり、谷町辺にも火の手の上るを見る、又遠く北の空にも火光の反映するあり、火星は烈風に舞ひ紛々として庭上に落つ、余は四方を願望し到底禍を免るること能はざるべきを思い、早くも立迷ふ煙の中を表通りに走出で、木戸氏が三田聖坂の邸に行かむと角の交番にて我善坊より飯倉へ出る道の通行し得べきや否やを問ふに、仙石山神谷町辺焼けつつあれば行くこと難しかるべしと言ふ、道を転じて永坂に到らむとするも途中火がありて行きがたき様子なり、時に七八歳なる女の子老人の手を引き道に迷へるを見、余はその人々を導き住友邸の傍より道源寺坂を下り谷町電車通りに出で溜池の方へと逃がしやりぬ、余は山谷町の横町より霊南坂上に出で西班牙公使館側の空地に憩ふ、下弦の繊月凄然として愛宕山の方に昇るを見る、荷物を背負ひて逃来る人々の中に平生顔を見知りたる近隣の人も多く打ちまぢりたり、余は風の方向よと火の手とを見計り逃ぐべき路の方角をもすこし知ることを得たれば麻布の地を去るに臨み、二十六年住馴れし偏奇館の焼倒るるさまを心の行くかぎり眺め飽かさむものと、再び田中氏邸の門前に歩み戻りぬ、巡査兵卒宮宅の門を警しめ道行く者を遮り止むる故、余は電信柱または立木の幹に身をかくし、小径のはづれに立ちわが家の方を眺る時、隣家のフロイドルスペルゲル氏褞袍にスリッパをはき帽子もかぶらず逃来るに逢ふ、崖下より飛来りし火にあふられ其家今まさに焼けつつあり、君の家も類焼を免れまじと言ふ中、わが門前の田島氏そのとなりの植木屋もつづいて來り先生のところへ火がうつりし故もう駄目だと思ひ各その住家を捨てて逃来りし由を告ぐ、余は五六歩横町に進入りしが洋人の家の樫の木と余が庭の椎の大木炎々として燃上り黒煙風に渦巻き吹つけ来るに辟易し、近づきて家屋の焼け倒るるを見定ること能はず、唯火焔の更に一段烈しく空に上るを見たるのみ、是偏奇館楼少からぬ蔵書の一時に燃るためと知られたり、火は次第にこの勢に乗じ表通へ焼抜け、住友田中両氏の邸宅をも危く見えしが兵卒出勤し宮様門内の家屋を守り防火につとめたり、蒸気ポンプ二三台來りしは漸くこの時にて発火の時より三時間程経たり、消防夫路傍の防火用水道口を開きしが水切にて水出でず、火は表通曲角まで燃えひろがり人家なきためここにて鎮まりし時は空既に明く夜は明け放れたり、
<引用終わり>

何度読んでも凄い文章だと思います。でもちょっと出来すぎた感じもある。だいたい空襲とは新月の夜にやるものではないのか、荷風は効果を狙って「下弦の繊月」を捏造したのか、とけしからぬ疑問を抱きました。で、調べてみました。インターネットとはこう言う時にとても便利で、ちゃんと暦のサイトがあります。「こよみのページ」というサイトで、過去に遡って月齢と月出没時間の計算が出来るのです。1945年3月10日の東京地方でのデータはこうなりました。

 月出  午前3時08分(方角115度)
 月没  午後1時12分(方角242度)
 月正中 午前8時09分(高さ 31度)
 月齢  25.4日

いやあ驚きました。まったく正確なんです。月齢25.4日とはまさに「下弦の繊月」です。月出は午前3時8分であり午前4時頃の高さは正中高度から計算すると7.7度となります。時間も正確です。愛宕山の上に顔を出した時間です。月出方位115度は荷風が休憩したスペイン大使館から見てちょうど愛宕山の方角となります。方角も正確です。ちなみにこの日空襲が始まったのは午前0時8分であり、月はまだ出ていなかったので米軍機は定石通り闇の中を飛来したということで空襲と月も矛盾しない。

『断腸亭日乗』は記録と言うよりは創作であるとする「学説」が信じられてきましたが、こと客観的な記述ではこのように驚く程正確なのです。阿鼻叫喚の中でこれだけ冷静で居られた永井荷風とはやはりただ者ではないのです。


2003年3月11日火曜日

国際連合(United Nations)と連合国(United Nations)

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2003.3.11
イラク問題では日本は世界から無視された格好だ。誰も日本の首相の意見など聞きに来ないし、フランスのシラク大統領やド・ヴィルパン外相の国際社会における凄まじいまでの存在感と較べるとまことに影が薄い。中東は地理的に遠いといってもお隣の中国の意向は重視されるだからやりきれない。でもこれが現在の国際連合を中心とした国際秩序というものなのである。こと安全保障の問題となると常任理事国五カ国が圧倒的な発言力を有する。これは国際連合の設立の経緯から考えれば当たり前のことである。

以前ネットニュース(インターネットフォーラム)で、参加者のあまりに夜郎自大的な発言に辟易し今の「国際連合」とは戦争中の「連合国」の名前と実質を継承したものであり日本は身の程をわきまえろと述べたら、激烈な感情的反発を買ったことがある。デマだとまで言われた(HPに「靖国神社問題」としてスレッドを収録)。日本が連合国の手下になったなぞと言うことは「ニッポン・ナショナリスト」にとっては耐え難い屈辱であったらしい。でも1942年にローズベルトの提案により「連合国」を正式には「United Nations」と呼ぶこととなったこと、国際連合発足の際に「我ら連合国の人民」が「国際連合(United Nations)」を作ると宣言したことは、国連憲章にも書いてある通り歴史的事実である(国連憲章の書き出しは、WE THE PEOPLES OF THE UNITED NATIONS DETERMINED...で始まる)。連合国を「allied」と呼ぶのは通称に過ぎない。国連憲章には旧敵国条項もあるし、安保理の常任理事国は第二次大戦の戦勝国で構成されている。国連は今でも「悪の枢軸と戦う連合国」のままなのである。ところが日本では 「United Nations」の二つの意味を「連合国」と「国際連合」にうまく使い分けて和訳してしまったので、そのへんよく理解されていないようだ(ちなみに中国では国連のことを今でも「連合国」と呼んでいる)。これが日本人が国連は世界の国々が民主的に物事を決める機関であるとのある種の幻想を抱くことにつながっている。でもそのような「ナショナリスト」も今度のイラク問題をめぐる世界の動きを見てだんだん現実が分かってきているのではないか。いずれにせよあまり愉快な事実ではない。この国連(連合国)中心の世界秩序は当分続く。すくなくとも現在の国際連合で国際問題に対処できないとはっきりした時点でないと新しい仕組みの検討さえも開始できないだろう。

ところがここにきて「連合国」内部で新たな亀裂が生じ始めている。国連発足直後からイデオロギーの対立から連合国内部で対立が発生したのであるが、その対立が漸くソ連の崩壊で解消したと思ったら、今度はフランスとアングロサクソンの対立となった。アメリカに言わせれば我々がヒットラーから助けてやったのに何をフランスは生意気なことを言うかと言うところだろうが、フランスはド・ゴールのおかげで少なくとも形式的にはれっきとした戦勝国となったことは紛れもない事実であり、そんなこと言われても片腹痛いだろう。本稿を書いている時点では、まだアメリカは国連の新決議なしにイラクに攻め込むとははっきり言っていないが、フランスの拒否権発動は間違いないところであろう。展開次第では国連の権威と協調体制に相当傷つくことになるのは事実である。それが国連に替わる新しい国際秩序の枠組み作りに結びつくのであろうか。そういう期待をする人がいることは理解できるが、これまた非現実的だろう。米仏の対立はプラグマティズムの手法に関する対立といってもいい。背景には地政学的な利害の相違があるが、状況が変われば簡単に利害は一致するのだ。米仏関係はなにせアメリカ独立戦争の時代からの緊密な関係である。アングロサクソンとフランスの文化的近似性は表面的な違いにだけ目を奪われる日本人の想像以上のものだ。結局仲直りをするだろう。

朝鮮半島で有事が起こった場合も現在の安保理常任理事国の判断で物事が決まる。直接の当事者である日本と韓国の意見はアメリカと中国と通じてでないと表明できないのである。ドイツはこのような国際社会における己の立場を十分理解しておりフランス(欧州)に急接近することでフランスを通じた形ではあるが国際社会への発言力を確保した。ドイツはフランスとドイツの国籍を共有化することまで提案している。ドイツとしてはきわめて現実的な選択である。それに対し日本では未だに中国に対して感情的な敵意を露わにする人が多い。反米感情もある。日本が中国や韓国とドイツとフランスのような親密な関係を築くには一体何百年かかるのであろうか。昨今やたらに元気がいいいわゆる「ニッポン・ナショナリスト」は、中国やアメリカとの対立をあおり立てることで、逆に日本の国際的孤立化と小国化をめざしていると言っていい。現実をはっきり認識し、その上に立った建設的な思考が求められる。

2003年3月7日金曜日

Le Monde : 未来の兵隊

2003.3.7

「未来の歩兵」と題するとても面白い記事がありました。いくら飛行機やミサイルが進歩しても戦争を最終的に決するのは歩兵。歩兵の戦い方については、人間の本質に関するものであり、実に奥深い議論があります。散人も科学の進歩が歩兵やサラリーマンのチームワークのあり方に影響を及ぼすとの仮説を立てていましたが、この記事はそれを裏付けるものであります。散人がむかし書いた「21世紀型チームワーク」と企業理念 (1997/12)も読んでね。

でもとても悲しいことは、最新の科学技術の進歩があっても兵隊の仕事は決して楽にはならないと言うことです。「兵隊に楽をさせるためではない」とエライ人がいっている。戦後の技術進歩もおなじ。主婦は電気釜のおかげでたいへん楽することが可能になりましたが、お父さんの仕事はITの進歩で逆にきつくなっている。不条理です。


Soldats du futur (2003.3.6)
未来の兵隊


2004年から米国の歩兵は電子器具で装備され、従来からの陸上戦闘方法を大きく変えることになる。

遠くからM4ライフルと迷彩服にクブラー製のヘルメットと防弾チョッキを付けたこの「ランド・ワリアー」と呼ばれる新型陸上戦闘員達の訓練を見ると、普通の米国歩兵と何ら変わらないようにみえる。しかし、近づいてよく見るとびっくりするほどの違いである。銃には三つの長くて黒いチューブがネジ止めされている。左側には300メートル先の物体を拡大してみることが出来るズームカメラが取り付けてある。遊底には熱により人間やエンジンを夜でも霧の中でも粉塵の中でも探知できる熱探知装置。弾倉の近くには2キロ先まで正確に距離を測ることが出来るレーザー装置。これらの映像はすべてヘルメットの前にぶらぶらさせて取り付けてある2.5センチのミニスクリーンに表示されるので兵隊は自分の目のところにそれを持ってきてみることが出来る。

さらにこの「ランド・ワリアー」はどんな知らないところででも絶対迷うことがない。GPS装置が防弾チョッキのポケットにしまわれているからだ。いつでもスクリーンの上に地図を呼び出して自分の位置を知ることが出来る。そのシステムはすべてベルトに埋め込まれたミニコンが制御する。

しかし一番すごい点はこの「ランド・ワリアー」の装備は見えない点にある。各兵隊は常に他のメンバーと移動型で最新型の無線でつながっている状態にある。胸のところに小さなデジタル無線器がはめ込まれてあり送信受信とも自由自在だ。スクリーン上に興味深い物体を捉えるとボタンを押すだけで仲間全員にそれを伝えることが出来る。ヘルメットについて居るマイクで仲間全員に話しかけることが出来る。このマイクは発声時の頭蓋骨の振動をとらえるタイプであるから、どんな騒音の中でもかすかに囁くだけで通信が可能だ。スピーカーはヘルメットに埋め込まれている。外付けの二つのマイクは150メートル先のかすかな物音でも探知可能だ。大音響となると自動的に消音機能が働くので鼓膜を痛めることもない。

GPS装置とレーザー装置はお互いにデータ交換するようになっており、常に歩兵は仲間の歩兵がそれぞれどこにいるかスクリーンに表示させて知ることが出来る。もし一人が銃で仲間を狙ってしまうとヘルメットから警告音が発せられる仕組みだ。

電子メールも送ることが出来る。最新の技術進歩にも拘わらず下士官は一定の時間には必ず報告書を文書で書くことが義務づけられているからだ。スクリーン上のバーチャルキーボードか無線機に取り付けたボタンを押してテキストを書くが、あらかじめ用意された定型報告書文案リストの中から選んでもよい。

「ランド・ワリアー」は同時に後方部隊ともつながっている。司令部では歩兵部隊がどんなに遠くにいようとも戦場で何が起こっているのかを知り、直接歩兵と話すことも出来る。砲兵隊は、歩兵がレーザーでとらえた敵の位置を瞬間的に正確に知ることが出来る。この装備は歩兵が24時間活動できるだけの電力を供給する電池込みで全部で6キロの重さである。

民生電子機器の進歩によりこのことが可能になった。2004年の早い時期から陸軍歩兵部隊の相当数の部隊に導入が予定されている。この二月には実際に演習でテストした。いまは最後の調整作業に入っている。

担当の大佐はこう言っている。「最初は兵隊達が新装備になれるには少なくとも2週間位かかると思っていたが、実際には午前中だけで大丈夫だった。ビデオゲームやインターネットで遊んでいる世代はこれを直感的に理解することが出来る。これは従来の戦法を根本的に見直しすることにつながる。いままでは歩兵が敵陣に突撃をかける時は、どうしてもグループを作りお互いに見える距離に固まる傾向があった。これは本能的なものできわめて強い感情である。でもこの電子装備のおかげでお互いに常にコミュニケーションが取られることで歩兵は散開できることになり、もっと冒険的な展開が可能になる。これで兵隊間のコーディネーションがよくなることはもちろんだが、もっと大胆に創造的な戦術が可能になる。最初は米国の歩兵が土地勘のないところでの市街地戦などで有効だと考えていたが、今はすべての戦闘で有効であることが分かってきた。これは一部の古い人間が心配するように歩兵の仕事を楽できれいなものにするということではない。戦争とは常に疲労困憊し泥だらけになるものだ。決して歩兵達を手を汚さない技術家集団に変えるつもりはない。我々の目的は、決して兵隊を楽をさせようと言うのではなく、兵隊の殺傷能力を増加させることにあるのだ」という。

(以下、未来歩兵の次世代バージョンについて等。略)

Yves Eudes


・ ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 06.03.03

2003年3月5日水曜日

Le Monde フロイトなしに夢を見ることが出来るか? 2003.3.5



夢のメカニズムについての大脳 神経生理学者の最近の研究です。難しいけれどとても面白い。フロイトの理論が生化学的に裏付けられた格好です。夢というのは目覚める瞬間に見るものなの だ!


Peut-on rêver sans Freud ? (2003.3.2) 

フロイトなしに夢を見ることが出来るか?

目覚めから夢が生まれる。この最近の神経バイオロジー のアプローチは精神分析とは矛盾しない。

1899年に『夢の解釈』が出版された。このなかでジ グムンド・フロイトは精神分析の基礎を築き「無意識の意識にたどり着く王道を」切り開いた。一世紀が経過してもこの夢の分析は精神分析の実践面で大きな柱 の一つとなっている。いま最近の神経科学の研究の結果、この手法の生化学的な原理がようやく分かるようになった。

夢とは一体何か? 一連の支離滅裂で不思議な出来事や 言葉の連続であり、時として叙述しがたいものである。しかしフロイトによればそれは多くのことのほんの表面にしか過ぎないと言う。どんなの馬鹿げた夢でも 変形していても厳格な理論で説明できるのだ。そのシンボルの裏に隠れた意味を引き出すためには、いくつかの大原則に基づきその解釈に取り組む必要がある。 大原則とは、夢は抑圧された欲望の実現或いは挫折であり、幼児期における記憶がその根本にあり、最近の出来事の場合は日中の日常生活での記憶が「材料」と なっており、夢分析の仕事は、その「材料」を暗号解読の方法で分析し、「隠された意識」を抑圧のバリアから引っ張り出すことにあるとされる。夢の分析に専 念して、精神分析医の助けを借りて、出来るだけ自由に意識を解放させることで、その根元にたどり着くことが出来るのである。

フロイトの天才はその手法を見つけ大きな道を切り開い た。実践ばかりではなく理論も発展させた。「この夢の分析解釈は、精神分析の手法がその後それから発展して進歩するにつけ、だんだん基本的なものではなく なってきたが、それでも夢分析は患者の精神状態を図る圧力計のようなものであり重要なものとして残っている」と精神分析医は言う。しかし神経工学の専門家 達は素晴らしい発見をした。神経工学で夢のメカニズムを分析するやり方は、必ずしも精神分析医の開祖がやった方法ではないのだ。

「フロイトの方法ではなくてどうやって夢を理解するの か」というのが2002年19月号の雑誌「科学と将来」が神経工学者ソフィー・シュワルツ博士の論文の前書きとして書いた言葉である。博士は「神経生化学 的な」アプローチの結果、夢というものは眠っている間の脳活動の歪みの直接的な結果であると発表したのである。この歪みが夢の中で現実が不思議な具合にゆ がめられることに繋がるのだ。知っている人の顔が怪物の顔になったり、常識はずれの大きさに拡大されたり、いろいろの色や白黒で混ざり合ったりするのだ。

コントロールの不在

こういう仮説は何故僕が巨大な犬の夢を見たのかは説明 するが、どういう理由で犬の夢を見たのかは説明しない! というのがフロイトの門下生達が唱える反論であろう。二つの流派は永遠に一致しないものなのだろ うか? 補完関係にあるのではなく折り合えないものなのだろうか? 現実は幸いにしてもっと微妙である。生化学者と精神分析医と対話は合致しないようにみ えるが、その時点に於いて彼等は大きな考え方において近づいているのである。脳神経系統のアナログ的働きという点なのである。神経性学者のタッシン博士 は、非常に有望な、二つの考え方をまとめうる、夢のメカニズムについての仮説を提案している。

眠りの間に於いては、大脳の皮質は二つのタイプのコン トロールが存在しない状態で機能している。眼や耳からはいる情報などの外部感覚によるコントロールと、神経変調器と呼ばれる脳神経の活動を上部から見張っ ている特定の脳細胞によるコントロールである。タッシン博士は「睡眠の間は皮質の活動は前日に形成された記憶に狭い範囲で依存しながらのものとなる。別の 言葉で言えば脳中枢神経のアナログ的(類推的)働きに依存するのである」とのこと。

成人の脳には二つのモードでの記憶の蓄積がある。一つ は迅速な記憶であり、アナログ記憶とも呼ばれるが、零点一秒程度の間に無意識のうちに記憶される情報である。もう一つはゆっくりとした記憶というものであ り、認識の記憶と呼ばれるが、情報が記憶に蓄積される前に十分意識的に分析されるものである。数学者のホップフィールド博士は、繰り返し繰り返し情報が脳 にはいることで記憶を形成すると同時に連想を形成すると脳のアナログ的働きを説明する。「船を見るたびに同時に黄色い雨合羽と無線アンテナを見ると、しま いに雨合羽と無線アンテナを見るだけで船を思い出す」と説明する。

神経の再活性化

それで夢はどうなったのか? その点に入る前に、なぞ の正体を見極める一つの鍵を紹介する。正常な眠りの期間には「マイクロ覚醒」と呼ばれる非常に短い覚醒の期間がたくさん混じっているのである。ほんの数秒 の覚醒期間だが、一晩中で何十回と起こるのである。これが重要なのであるが、動物実験によればこの覚醒期間になるとすぐに神経の変調器が作動することが分 かったのである。ここがタッシン博士の仮説の重要なところであるが、思案させるものであり、とても魅力的な仮説なのである。夢は目覚めることから発生する のだ!

「われわれが安定した覚醒にある間は我々の脳の認識機 能は我々の行動と思考と一貫性のあるものとなる。しかし、この「マイクロ覚醒」の期間は神経の変調器が急に活動にはいるため、急に呼び出された「記憶」の 内容が現実の認識として引きずられることになるのである。この作用はほんの零点一秒ぐらいの間で起こるため正常な覚醒状態では機能する大脳の抑制機能が働 かないことになる」と博士は説明する。そこで「おかしな」夢を見ることになり、その夢の分析解釈が重要になってくるのである。

実際に、睡眠中は我々の脳の「記憶」は偶然に動き出す のではない。「動き出すチャンスの高い記憶とは一番安定した形で保持されている記憶である。別の言葉で言えば一番重要なもので、一番感情を伴うものであ り、幼年期に獲得したも記憶である。これは夢を見た日の記憶とは異なるものである」と脳神経生化学者は強調する。この研究の方向が有望ということはフロイ トは間違っては居なかったということである。フロイトの言ったように、脳が完全に目覚めないために夢が機能するのであり、夢はまさに「安眠の守り神」なの である。

Catherine Vincent

・ ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 02.03.03